伊藤伸二さんのblog見ました!


えーすっかり寒くなりましたこの季節。
年も越して1月ももう終わりです。 遅い「明けました、おめでとう!」…ですね(^^;

私に至ってはブイの16周年目の祝いをしてから更新がすっかり閑古鳥で

時間を見て同じダイアラーの皆様のblogを覗く日々でした

すみません。
長い前置きは終了して、本題です


くんちゃん様の日記を拝見した私は早速伊藤伸二さんのblogを見に行きました。

読んだ時、私も同じ事を感じたことがあったので凄く共感しました。

私の場合、ごう君の舞台を生で見たのは『血は立ったまま眠っている』が初めてでしたが、

まぁ色々インパクトが強かったです。…ので、まっさらな気持ちで観れました

伊藤伸二さんの金閣寺を観た感想の一部から

『吃音の悩み故の人への恐れ、疑い、自分への自身のなさを、身体で見事に表現していると私には見えました』

『森田の中に、吃音で苦悩する溝口が降りてきたのかもしれません』

−と、このようにありました

私も、ごう君の舞台を初めて観た時に感じた違和感に改めて気付かされました

舞台に立つごう君、確かにごう君であるのに、そこに立つのは物語の人物だったからなんだと
ほんとに、『降りてきた』という表現が相応しいぐらいに、そこにいたのは私の知るごう君じゃなかったんです

えぇ、おかしいと思ったんです。ごう君がいるのにドキドキしない、ときめかない
まるで自分が第三者にでも立っている感じでした

話しに吸い込まれるというのか、彼の動きを奇妙というか不思議な感覚で目で追っていたんです
舞台が終わって、カーテンコールで見せたごう君の笑顔を見て、「あ、ごう君だ」とやっと嬉しくなったんです

多分、私が今まで見てきたごう君は"アイドル"という枠内で出来たものであって

あの時、TV越しでもなく、この目で見たごう君こそが"役者"という枠で出来たものだったんですね

私はほんと、分かってなかったんです。お恥ずかしい限りですよ

だからこそ、今はしっかりと理解した上で舞台を観ることが出来るんですけどね

健君がよくごう君を褒めてたみたいに、本当の天才なんだと思います。
"天才"って言葉自体は嫌いなんですけどね

まぁ他に言いようがないので(^^;

天性的なものというのか、本能というのか、凄いのは、ごう君は内側だけでなく外側からも取り込むことが出来ているということですね

まさしく身体で表現する
しかも無意識に

伊藤伸二さんにはちゃんと目にうつっていたという事ですね

関心してしまいました。
私も今色々勉強してる身なので、考えさせられることが沢山ありました

もっと柔軟に、様々な角度からこれからはV6と、そして「役者ごう君」を見ていこうと思いました!

とても参考になりました。有難うございます伊藤伸二さん!

そしてそのことを教えて下さいましたくんちゃん様、有難うございました!